第12章 再び遺伝と環境,学習,文化
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1. 再び、遺伝と環境について
心の基本設計
氏か育ちか、遺伝か環境かという単純な対立の図式にいつまでも拘泥している時代ではない
人類は明らかに進化の産物なので、身体も認知能力も遺伝的なプログラムに沿って発生していく
他のどのような生物とも同じく、発生過程には環境要因が必ず関与する
身体形質にせよ認知能力にせよ、究極的に包括適応度の上昇とリンクした形質には、そうでない形質よりも大きな淘汰の力が働くので、そこに適応的な進化が生じる
生存率や繁殖率が高まることにつながる行動傾向としては、たとえば、いち早く捕食者から逃れる、効率よく食物を探し出す、裏切られないように気を配りながら社会関係を築く、配偶者獲得競争でライバルに打ち克つ、適切な配偶者を選ぶ、近親者に対して利他的に振る舞うなど
このような適応課題に対処するためには、何らかの形で遺伝的に組み込まれた無自覚的な認知機構――適応的な心(adapted mind)――が半ば自動的に作動するだろうと考えられる
このように考えると、人間の心は標準社会科学モデルや強固な経験論が想定するような、どんな色付も可能な真っ白なものではない
人の心には、あらかじめある種の方向づけがなされているはず
遺伝によって形作られる人間の心は、ゴツゴツ、デコボコとしたものと捉えることができる
我々の心にも適応課題に敏感に反応する部分がある、と考えられる
この尖った部分が進化心理学者がいう領域特異的な心を表している
しかし、この鋭敏な部分――領域特異性――の働きに基づく行動が、実際に最終産物として出現してくるときには、学習や社会や文化といった環境要因に大きく左右されるだろう
ほとんどの文化ではくっきりと現れる行動傾向が、ある文化ではよく見えないということがあってもおかしくない
人間は他の動物と比べて、適応度上昇に結びつく選択肢が色々あるので、領域特異的な働きがいつも同じような行動として現れるとは限らない
ゾウアザラシの雄であれば、闘争能力が繁殖成功のすべてを規定するが、ヒトの男性は何十通りとある
男性の闘争心や攻撃性が強調され、高く評価される文化はあるだろうが、それほどでもない文化があってもおかしくない
ただし、もともとの心の設計をまったく覆すようなタイプの文化が普遍的になることは、おそらくないだろうと予測できる
発生と発達
生物はもとの遺伝的なプログラムがなんと書かれていたにせよ、それが現実に発現するには、外界との交渉を抜きにはありえない
受精卵にすべて含まれているが、それが発生して形態を形成し、おとなになって色々行動するようになるまでは時間がかかる
その間、外界と接触を持ち続け、様々な情報のやり取りをしていかねばならない
遺伝か環境かという問いかけは無意味
もともとの遺伝プログラムがあっても、発生の途上や発達の途上の状況次第で、プログラム通りにいかないこともある
視神経を作る遺伝子は、ヒトに普通に備わっているが、生まれてから目から視覚刺激が入らないようにしてしまうと、できるはずの視神経がほとんど形成されず、盲目に近い状態になってしまう
頭蓋骨の形は、じん類の集団によって平均的な形が大体決まっているが、赤ん坊のときから固定などで変形させることができる
つまり、環境とのインタラクションによって最終産物が大きく変わるからといって、そのような形質を作る基本的な遺伝プログラムが存在しないということではない
それがどのように外界との相互作用によって変化するか、もともとのプログラムの可塑性はどのくらいか、どんな補償作用が組み込まれているか、いつごろ、どのような時間スケジュールに沿って、プログラムが発生するのか、というようなことは、大まかに決められているはず
学習
学習とは、遺伝と対立する概念ではなく、学習が起こるにも遺伝的な基盤がある
学習の成り立ちそのものも、適応的にできている
刷り込み(インプリンティング)
発達途上のある特定の時期(臨界期または鋭敏期)に、ある特定の行動を学習するように組み込まれた特殊なプログラム
臨界期にのみ成立し、一度成立したら壊すことができない
特殊な生活環境に適応的
哺乳類においては、このような学習のプログラムが存在することを明確に示す証拠はない
学習することが常に「高等な」やり方とは限らない
例えば、飛んでくるものを避けることを学習せねばならないとしたら、学習が成立してしまう前に死んでしまうだろう
学習にはコストがかかるが、それにもかかわらず、学習による行動形成に任せたほうが有利であるとき、学習が起こることになる
鳥の鳴き声や行動には、かなり生得的に決められているものと、学習によってのちに獲得されるようになっているものとがある
モモイロインコとクルマサカオウムの自然実験
同じ穴に両者が巣を作って産卵することがある
抱卵が始まるまでは両者は平和的に巣を共有する
抱卵が始まると喧嘩になり、からだの大きいクルマサカオウムの方が勝ってモモイロインコを追い出す
モモイロインコの卵をクルマサカオウムがあずかって、一緒に育ててしまうことがある
クルマサカオウムに育てられたモモイロインコの雛がどのような行動をとるようになるかは、それぞれの行動の学習に寄る可塑性を如実に示している(Rowley & Chapman, 1986)
生得的
餌ねだりの声
敵を見つけたときの警戒音声
学習
仲間とのコンタクトを確認するコンタクトコール
飛翔のパターンや食物の選好
学習の研究者たちは、すべての生物やすべての学習に共通の学習メカニズムの原理を発見することを大きな目標としていた
機械論
近年はこのような生態学的な妥当性を考慮した学習の研究が徐々に行われるようになってきている
2. 心のモジュールとモジュール間の流動性
モジュールは特定できるか?
領域特異性はどれほど細かいものなのか?
心のモジュールとしてヒトの脳の中に組み込まれていると考えると、それは、人類進化のかなり長期にわたって、非常に大きな淘汰圧が働いてもたらされたものに違いない
私たちの見解としては、そういった進化的な心のチューニングは、どちらかといえば大雑把なもので、非常に細かなところまで規定するようなものではない、と考えている
一方、人の顔の情報処理や、音声言語情報の処理などは、進化的過去から連綿と続いてきた重要な問題なのだから、それに特化した心理機構が存在するはずだと名言できる
従来の心理学者達の間でも行動の適応性という視点が欠けていたわけではないが、心理学で適応という言葉が指す意味はこれまで明確ではなかった
不適応の対義語として漠然と用いられてきたように思われる
進化生物学では、適応は、生存と繁殖の上での有利さと明確に規定できる
したがって、進化理論は、生存や繁殖の有利さがどのような文脈で出現するかということをはっきりと特定することができる
スティーブン・ピンカーが『言語を生み出す本能』の中で挙げた領域特異的な心のリスト(Pinker, 1994)
適応課題に対応している
20世紀初頭の心理学者達(例えば、W.ジェームズやW.マクドゥーガル)が提出した本能のリストと一見似ているが、ピンカーのリストは現代進化理論に基づき生存や繁殖場の有利さということをふまえたもの
ピンカーはこれらがモジュール群を形成しているとみなしている
心的モジュールは実体があるか、それとも構成概念か
適応的な心のについて、そのメカニズムや発達(発現)過程まできちんと示せるかどうかという問題
残念ながらあまり進んでいない
もっとも言語については、ピンカーがあえて時代がかった言語本能という言葉を持ち出したように、脳内の機能局在がかなりわかってきた
まだ議論中とはいえ、言語能力に関連した遺伝的基盤を特定する試みも進行中(Gopnik, 1997)
社会的認知能力(心の理論など)については1980年代後半になるまでそのモジュール性を唱える研究者はほとんどいなかった
近年の神経心理学的な研究によると、社会的認知能力には扁桃体や前頭前野が関与しているという知見が増えつつある
前頭前野を失ったフィネアス・ゲージ氏の症例は有名
一般的な知能も低下せずにすんだが、道徳心を失い、場所をわきまえて言うべきことがなにかわからず、自分の状態を惨めだとも思わなくなってしまった(Damasio, 1994)
他者との社会的コミュニケーション能力を著しく欠く自閉症者でも、前頭前野に障害があるのではないかと疑われている(Baron-Cohen, 1995)
その他の心的モジュールについては、メカニズムの解明はまだ始まったばかり
しかし、ピンカーのリストのすべてについて脳内の機能局在が明らかにされたり、それに関連する特定の遺伝子が全部見つかることはないと思われる
遺伝的影響があるにしても、複数の遺伝子がからみあって作用しているものと考えられる(→第3章 遺伝子と行動のレシピの比喩)
汎領域的な心の役割
一般に進化的な適応は節約的に成し遂げられるので、ぜいたくな機能は一般に進化しない
高次の学習能力というのはまさにそのようなぜいたく品の代表
外敵対策と恋人の獲得を同じ認知システムで情報処理するよりも、個別に処理したほうが節約的だ、というのがモジュール論の前提となっている
現実の我々の認知機能は完全にモジュール化しているだけではない
領域特異的な複数の心の間をいつも行ったり来たりする
認知的流動性
研究者の間でも、モジュール間を連結・統合するような汎領域な一般過程二台する注目が高まりつつある
認知考古学者のミズンは、約5~3万年前に起こった人類進化における「文化のビッグバン」は、博物学的知能、技術的知能、社会的知能、言語能力という領域固有な知能を結びつけるような新しい知能の誕生によって生じたのではないかと論じている
神経人類学者のT.ディーコンも、人類を他の動物から特徴づける能力は、とくに何かのモジュールとは限らず一般能力としての記号操作能力にあり、それが言語によって実現されたと述べている(Deacon, 1997)
サルの仲間やチンパンジーは、自分たちを取り巻く社会関係とその性質については、かなりの推論能力があるようだ(→第5章 ヒトの進化)
もしも、そのようなレベルの推論能力が他の領域にも応用できるならば、サルもチンパンジーも、もっと色々な道具を発明したり、言語獲得をしたりしてもよいと思われる
霊長類一般の脳の進化の根源が社会生活の複雑さにあり、その領域では彼らはかなり「頭がよい」ものの、その「頭のよさ」が、他の領域にもすんなりと応用されているわけではないことを示している
筆者もミズンやディーコンと同様に、認知的流動性や一般的な記号操作能力こそが、人間らしさを生み出したのだろうと考えている
領域固有的な心の働きはたしかにあり、生存や繁殖にかかわる認知処理の多くは自動化されているが、私たちの心はそれだけではない
ホモ属の時代に入って、かつてどんな動物も手に入れたことのない余裕を手に入れ、高価な脳(特に新皮質)を進化させた
二足歩行の完成と火の利用が相まって、効率のよい食料獲得活動とエネルギー代謝が可能になったと考えられる
しかし、脳容量の拡大だけでは、認知的流動性の誕生を説明できない
ネアンデルタール人は絶対値で見る限り、現生人類以上に大きな脳を持っていた
「文化のビッグバン」が生じ、ネアンデルタール人が姿を消した3~5万年前に、果たしてどんな変化がホモ・サピエンスに起こったのかが、汎領域的な心の誕生を知る上で決定的な鍵だが、現時点では謎
3. 言語と文化について
言語について
文法構造を持ち、文節に分けられる音声言語を操る
文法や語彙数からみた言語の複雑さは、文明の程度とは関係がなく、狩猟採集民であれ、遊牧民であれ、現代産業社会に住む人々であれ、同様な言語能力を備えており、相互に翻訳することが可能
言語は確かにヒト特有の現象であり、ヒトの脳に深く組み込まれている
言語にはの二つの側面がある
音声コミュニケーションという側面
書き言葉が発明されたのは、人類進化史のはごく最近ことで、言語は、音声コミュニケーションとして発達した
霊長類は様々な音声コミュニケーションを発達させている(→第5章 ヒトの進化)
ヒトの祖先も、このようなコミュニケーションの素地を、他の霊長類と同じく共有していたに違いない
R.ダンバーは、ヒトの言語が、コミュニケーションとして人間関係の調整に果たしている側面に注目した(Dunbar, 1996)
意味内容の伝達ではなく、人間関係を円滑に行うためのコミュニケーション
ダンバーはこのような会話の側面がなぜ進化したかを考察し、霊長類の毛づくろいに替わる役割を果たしているのだろうという仮説を出した
世界の認知という側面
二つの異なる性質がある
意味性(セマンティックス)
意味は何らかのシンボル(記号)で表象され、それが文法的につなげられて表現される
ベルベットモンキーは、3種類の敵を表す別々の音声のほか、「ベルベットモンキーの他の群が近くにいる」という音声もあるようだ
これはある特定の音声パターンが、ある特定の事象と対応しているという点では、確かに原初的なシンボルだろう
しかし、ベルベットモンキーの警戒音声は、つねに実際にそこに存在する敵を目前にして発せられるシンボルであり、それが独立して「ヘビ」という「細長くてくねくねして毒のあるような気持ちの悪い生き物」という心的表象を表すということはない
ヒトの言語は、物体を総称してシンボル化しており、必ずしもその物が目の前にあるのでなくても、それらの物に関して話をすることができる
抽象概念を表すこともできる
高度に発達した意味性が備わっていることは、ヒトの認知の高度さを示しているとともに、言語があるからこそ、高度な認知もできるというフィードバック関係を作り出している
文法(シンタックス)
ある一定のルールをもとに単語をつなぎあわせ、無限に文章を生み出していけるようにするもの
チョムスキーが明らかにしたように、文法構造には文化を超えた普遍性があり、生得的な言語情報処理システムが備わっていると考えられる
普遍文法
言語獲得の発達過程を見ると、子どもたちは信じられないようなペースで語彙数を増やし、みるみる正しい文法を獲得していく
脳内には発話の中枢といわれるブローカ野と聴き取りの中枢といわれるウェルニッケ野があり、それらの周辺部位に障害を受けると失語症が発症する
他の知的能力が低いのに、言語能力だけ優れていたり、逆に、他の知能は優秀なのにうまく言葉が話せないというような人もいる
このような事実から、言語には生物学的基盤があり、言語能力があらゆる人間に組み込まれていることは明らか
言語の進化については類推するしかない
イスラエルのケバラ洞窟で発掘されたネアンデルタール人の喉頭骨は、現代人のものとほとんど同じだったので、ネアンデルタール人も話をしていただろうと考えられる
それがどれほど進んだ言語だったのかはわからない
チョムスキーは言語の生得性を強調したものの、言語は一般的な認知機能の副産物であると考えているようだ
一方、ピンカーは、言語は自然淘汰の産物であると考えている
しかし、ピンカーは言語を有することが、具体的にどのような道筋で適応度を上昇させたのかについては論じていない
言語の進化のシナリオについても以前よりもずっと多くの推測が立てられている
最近は、機能的磁気共鳴画像(fMRI)などの機械の発達
40年以上続くチンパンジーの言語訓練の研究
それでも、言語の進化はまだ謎
言語の進化を考えるにあたっては分けて考えたほうがよいのではないか
記号操作能力の進化
文法の獲得と進化
音声コミュニケーションの進化
「文化」という方便
文化が私たちにどのような影響を与え、それがどのような認知のルートを通って生じ、なぜその文化要素が私たちの行動を変容させるのに重要であるのかを明らかにした研究はほとんどない
文化とは、私たちの暮らしを取り巻く環境であり、もしかしたら自然環境よりも直接的に私たちを取り巻くものであるかもしれない
文化には実に多くの要素がある
物質的な文化や精神的な文化
すべての文化要素の変化が等しく私たちの行動を変容させるわけではない
文化の要素同士の間に葛藤が起こることもあり、やがてどちらかが優勢になる
e.g. 民主主義 vs 家父長制
人間は文化に規定されてもいるが文化自体を作り変えることもできる
文化という圧倒的に大きな影響力を持ちながら、とらえどころのないものについて、私たちがそれを理解し、進化的な考察の中に組み入れるには、まだしばらくの時間がかかるだろう
文化のせいにして、人間の行動の可塑性の方便に使って終わってはならない
文化の自体の創造と変容のしくみ、それがどのようなルートで人々に影響を与えるのかのメカニズムを明らかにしていく努力が必要だろう(Sperber, 1996; 山岸, 1998; 亀田・村田, 2000)
人間に対する文化の影響を考えるにあたっても、進化的要因(究極要因)と直接的要因(至近要因)を区別するのが有効だと思う
文化は、私たちの行動を規定する環境変数なので、人間の行動を直接に左右する要因として、文化は圧倒的に重要
文化も私たちが作り出して、かつ変容させるものなので、文化の諸要素が生成されて広く受け入れられたり、捨てられていったりすることには、何らかの究極要因が考えられる
私たちの脳と心の基本設計と関連していると考えられる
究極要因として適応度が関連しているだろう
非適応的な行動について
人間の行う行動がすべて適応的とは限らない
何が適応的であるかということが、先験的に明らかなわけでもない
アメリカの人類学者のビル・アイアンズは、文化的には高く評価されているけれども、一見、適応的とは思われない行動をリストアップし、その意味を検討している
最近では、様々な精神疾患が、本当に非適応的であるのか、それとも何か別の適応的な側面を持っているのか、ということが進化医学的観点から検討されている(Nesse & Williams, 1994)
人間には、どう考えても非適応的な行動を選択することもあるようだし、それを楽しいと感じることもあるようだ
人間は高次の推論能力を持ち、認知的流動性もあり、将来にわたっての帰結やさまざまな可能性を見通すことができるので、おそらく、適応とは無関係なことを考えたり行ったりすることもできるのだろう
ただし、何でも冷静に様々なことを推論して考えて行動するのが人間ではない、ということは考慮しておくべき
行動や判断の多くは無意識的に行われている
それらが普通はうまくいっており、うまくいっていると私たちは意識すらしない
意識していないということは、あまり認知資源を振り向けていないということなので、認知資源を節約しつつ、うまく暮らしが成り立つのは、適応的にできているからだろうと考えられる
適応行動の研究意義について
実体が未だに掴みきれていないものを研究する意義はどのようなところにあるか
いわゆる文化系の学問は、実体が未確定であっても、構成概念を積み重ねることによって進むので、問いかけそのものに意味がないかもしれない
しかし、ハードな自然科学者の間では、物質的基盤がはっきりしない現象は科学の俎上にのらないと考える人が数多くいる
ダーウィンの学説は、遺伝子もメンデル遺伝学も知られていない時代に築き上げられた
ダーウィンの偉大さは、きわめて演繹的な論理構築をし、その仮説検証の証拠固めをきっちりした点にあると思う(→第2章 進化の概念)
仮説を立て、検証するという科学のもっとも基本的な営みを忠実に実現した人
適応行動の研究は、ダーウィンの伝統を直接受け継ぐ研究分野
自然淘汰とそのサブセットの進化理論からは、個別の様々な予測が生み出される
その予測が実証できるかどうかという作業は、自然科学そのもの
カッコウの托卵については、いまだに遺伝機構も神経機構もよくわかっていないが、托卵(およびそれに対する対抗戦略)をめぐって様々な仮説検証研究が行われ、新しい発見が積み重ねられてきた
同様に、人間行動に適応論的アプローチを採用することによって、従来にない予測が生まれ、新しい現象の発見が期待できる
既知の現象については、総合的・整合的な説明が可能になる
トゥービーとコスミデスは、進化理論を未知の土地を探検する時の地図であると例えている(Tooby & Cosmides, 1992)
これまでの自分社会科学で、地図(統合理論)という名に相当するのは、おそらく文化における社会的学習に重きをおく標準社会科学モデルだけだった
社会や文化の多様性はもちろん、人間を理解する上で欠かせない視点だが、多様性や価値の座標軸をどのように設定するのかが問題
その点で、従来の標準社会科学モデルの座標軸は研究者の価値観に負うところが大きすぎたと思われる
#ノート